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2009年3月17日 (火)

本覚坊遺文

本覚坊遺文

荷物になるから文庫はいつも読み終えたら誰かにあげてしまうんですが、この本覚坊遺文は聖書のようにまた読み返さなくてはいけないと初めて思った本でした。

今と何もかもが違う時代においての「もてなし」というものは現代よりもよりシンプルに見えてとても深くて、より多様だと感じました。

今 の時代は一見平和な世の中で、いろいろなモノがあふれてて、交通や通信手段も充実してて、今日会った友達と、また会える日が近いうちにあるだろうと根拠の ない確信のもと私たちはお気軽に「またね!」って別れていくけれど、かつて利休の生きた戦国時代は信長ー秀吉と時代が移り、その中で今日生きた人が茶室を 出れば明日は戦場で亡くなってしまうような時代に、利休はひたすらそんな武人にお茶をもてなして見送っていたんだな~。
これは想像の域を出ることは出来ないけれど、利休は凄い覚悟のもと、人々をもてなしていたに違いないと思う。

今の時代も私たちは昨日会った友達とまた会えるって安心感のもと、本当はいつ別れてしまうか定かではない事実を忘れて生きる術を身につけて、その安心感は会える時間数とは裏腹にお互いの関係性を希薄なものにしてしまってるんじゃないかな?

相手をもてなすということは、相手の人生の中の限られた時間を自分と共有してもらうということなんだから、もてなすほうも、もてなされるほうも、真剣だったんだなー。きっと。

そんな相手にお互い感謝と敬意をもって、自分の考えうる限りのもてなしをして、また亭主の最大のもてなしを汲み取る客でありたいと思う心情こそが茶道の教えなんじゃないかと、私は解釈しました。

利 休亡き後、徳川の時代が始まり、戦国は終わって世襲によって時代は一見とても平安な世になり、人々は「死」というものを違う世界のことだと、とらえて生き るようになったことに本覚坊その他、利休時代の茶人達は「茶の湯の道も変わってしまった」と嘆いているように私は感じましたが、それさえも本覚坊は時の流 れとともに受け流して時代をとらえているようにも感じます。

今回の読破で感じたことをまとめるとこんな感じに思いますが、まだまだ心に渦巻く何かを感じていたりもします。
言葉で表現することはなかなか難しいですが、また整理して文章に残しておきたいな。
そしてまた次に読み返したとき、今より経験を積んだ私がどう感じるか、この今の自分の感想に対しても、同じくと思うのか、このころはまだまだだったと思うのか、すごく楽しみでなりません。

2009年3月 4日 (水)

おもてなし

おもてなし

おもてなし


この写真は秋に皆がロッジを借りて、風船いっぱい膨らませてデコしてウェディングパーティーをしてくれた時の写真♪
皆の気持ちがいっぱいの、手作りですごく暖かくて楽しい2日間だった♪

人をもてなすって、凄く難しいことだと、最近良く思います。
もてなすって気持ちは突き詰めるとどこにいくんだろう?

自分の出来るだけを相手に最大限に、でも押し付けがましくなく伝えることって凄く難しくて、その時々の状況で相手を思いやるってことは本当に難しい。

最近読んでいる本に「本覚坊遺文」っていう千利休のお弟子さんの遺文を綴った本があるのですが、茶道のもてなしの心って言うのは本当に深い。

詫数寄の心って相手を気張らせずに、リラックスして歓談して頂くってことな気がする。

そしてお互い心が開きあえれば最高♪

かといって、凄くおもてなししなければいけない相手、場面においてはそれなりのおもてなしもしっかりと出来る力を持っていたいです。



相手を緊張させたり、かしこまらせたりするのは本当のおもてなしとはちょっと違うなっと最近思えてなりません。

だからお金をかけるのではなく、手間をかけたおもてなしこそが本当に価値ある、気持ちのこもったものなんだと、改めて思います。

もっともっと自分の大好きな人達にもっともっといろんなことを出来る自分になりたいです。
ちょっとした気遣いや、知識や、美味しいご飯を作れたり、と、いろんなことを出来る自分であれば、大好きな人達にいっぱい「楽しい!」とか「嬉しい!」とか思ってもらえるよね?

ゴールはないけど、ずっと目指して行きたいな〜。

2009年2月 6日 (金)

受け継いで伝える

受け継いで伝える

先日2人旅をした仲良しのなおちゃんのお家のアトム君dogが16歳で今日天国に行ってしまった。。。

先週から東京に遊びに来てたなおちゃんはアトム君の体調が悪いってことで、予定より早く帰って、アトム君はなおちゃんが帰ってきてから元気を取り戻したのに、今朝起きたらなおちゃんの横に寄り添って天国に旅立ったみたい。

アトム君は16年も可愛がられて、本当に幸せやったと思う。
なおちゃんの家族が本当に素敵な家族ってことがアトム君の寿命の長さでもわかるよね。
きっとずっとずっと本当にアトム君を家族の1人として、甘やかすんじゃなく可愛がって育ててきたんだね。

大好きななおちゃんの大好きなアトム君の話を聞いて、私も悲しくてしかたなかった。
毎日毎日あふれてるニュースの殺人事件をただ何とも思わず「まただな」って思うように心が固くなってしまっていた自分が、友達の大切なペットが天国に行ったことを本当に悲しいって思える。
同じようにこの気持ちをいっぱいいっぱい広げて行けたらもっと毎日しっかりと生きれる気がする。
悲しい事件も少しでもなくなると思う。
そんなふうに命をちゃんと預かれる気持ちを大切にしないと自分も、家族も、ペットも、全ての人を大切に出来ないよね。

本当に命を大切にすることって最初は家族から学んで、そして社会に出て友達から学んで、そして新しい自分の家庭で学んで、それを伝えていくんだろうな。
なおちゃんの家族は本当にしっかりと伝えられてる。
本当に素敵な家族だと改めて思ったよ。

アトム君は本当に幸せやね。

私もこれから新しい自分の家族が増えていったらちゃんと伝えていけるように、今自分の近くにいてくれる人達をちゃんと大事にしていきたいなって思った。
近くにいればいるほど、毎日毎日優しい気持ちの日ばっかりでもなくて、悲しかったり怒ったり、いろんな気持ちが入り乱れるけど、でも根底にある愛情の方向は間違えないようにしたいです。

2009年1月24日 (土)

幸せ%と残念%

幸せ%と残念%


人と人の関係満足度を100%で現すとすれば、大雑把に見て20%の喜びと80%の残念に支配される気がする。
まぁこれは30%と70%でもいいんだけど、とにかく残念%のほうが幸せ%より大きい気がしてしまう。

誰かと真剣に向き合う時、20%くらいすごく嬉しいことがあっても、80%くらい残念に思ってしまうことがついてくる気がする。

20%の幸せは80%の残念より大きなものになり得るのかな???

私は希望を込めてなり得るって思いたいけど。

最近の風潮では80%の残念の方が大きいとされる傾向があると思う。20%程度の喜びを感じるために、80%もの残念な気持ちを犠牲には出来ないと心にガードをしてしまってることがいっぱいあるんじゃないかな。。。

20%の幸せ>80%の残念 にするには80%の残念を受け入れる思いやりと、80%の残念を0%にしてあげたいって思う思いやりが必要で、それは傷つくかもしれないけど、気付いた人から始めないとなにも変わらなくて、最初に気付いちゃったら最初はちょっと損な気もしたりするけど、でもだからって目を背けると80%の残念に20%の幸せがかき消されて全てなくなってしまって、心が0になってしまう気がする。

与えられた分を返すよりも、与えた分が少しでも返ってくるほうが同じものを手に入れてても喜び%が違う気がする。

結局大きな幸せは人に与えてもらうものじゃなく、自分が与えることによって生まれるものなんだな〜〜〜

与えることを続けることが残念%をなくして幸せ%を100%に出来る唯一の手段なんだな〜

その葛藤が人生における修行の1つなのかも。

日々修行だね。

2009年1月23日 (金)

直島

直島
写真は去年の年末に旅行した直島です★

直島
これは直島のカフェ。

 

町の人がのんびりと、だけど丁寧に町を守っていて、本当に心が癒される。

いろんなアートに触れて、自然に触れて、美味しい空気とご飯。心の栄養分が全てそろった町なんじゃないかな?

大きな街では補給出来ない栄養素のかわりにサプリメントで補給してる感じがする。

その心のサプリメント、本当に栄養補給できてるの?っていつも感じてしまうけど。

そんな手軽なものに変えて、お金をかけて?いやいや、最近は本物がお高い時代?
ってことは、手軽で安価なサプリメントに走ってしまうのは仕方のないことなのかな。。。???

だけど、大切なものは絶対補給出来てないと思う。

そして、本物ってやっぱ値段でも価値でもなんでもなくて、自分自身が1番必要なものをちゃんとした手法で取り入れることだと思う。

時間がめまぐるしいのは大切な手順をすっとばして、必要以上にとりいれてしまった栄養素を消化するために動きまわってるからなんじゃないかな。

人の欲求が留まることは死と同じとおもうけど、欲求のバランスを見失うことは絶対したくないな〜〜〜